パパだって最初からパパなわけじゃない
いわずと知れたムーミンの、パパの若い頃の話だ。
でも、話と言っても自叙伝だ。
きっと、本当のこともそうじゃないことも書いてあるだろう。
物語は、今のパパと昔のパパがいったりきたりする。
今のパパの隣には息子のムーミンがいて、例えばパパが思索にふけっている章では、おもしろくなくて居眠りしてしまう。
対してママは、そこが一番いいところだと思いますよ、と言う。こどもたちには、まだ難しいんです、と。
ママの言葉には、こちらが首を何度も縦に振って賛同したい。
読んでいて、本当に驚いたのだ。
こんなふうに、自分も自分が何者でもなく何も考えることもなければ楽なのにとか、自分から率先して悲しい気持ちになって、そんな悲しい気持ちになっている自分を冷静に見ている部分もあって、それをまたひとつの成長なんだと感じたり、大人なら誰にでも身に覚えのあるようなことが急に提示される。
また、禁止されていることをあえてやりたがり、働きもせず寝ていることが一番だと言う彼のことを、彼はただ誰よりもただ生きようとしているんだよと、彼を評する友人がいる。
ただ生きようとしている。
なんて難しいことだと思う。難しいから、こんなに世の中には楽しそうに見えることが溢れかえり消費されていく。
それにしても、パパを手の上で転がすママの愛情ときたら。
トーベ・ヤンソン 小野寺百合子/訳 「ムーミンパパの思い出」
(2011年、講談社文庫)