手を繋いでいる人を見かけると奇跡だと思う
文体に慣れるまでに少しかかった。
けれど、この物語にはこの文体しかないと思える。
毎日は何気ないことの繰り返しだ。
それをひとつひとつすくいあげていったら、どうなるだろう。
例えば、朝起きたとする。それは、目覚ましで起きたのか?それとも朝の光で自然に目覚めたのか?
起きたらまず、目覚しを止める。起きあがってベッドの横のカーテンを開けて、空の様子を確かめる。梅雨続きだったのが、今日は朝から晴れていて、洗濯ができることに嬉しくなる。ベッドからおりて、髪留めで前髪をとめる。そして、テレビをつける。
こういったひとつひとつを、細かくすくいあげていく。
とりたてて何も起こらない朝のことを。
でもそれは、奇跡なのだ。
平和な眠りから目覚め、カーテンの外はいい天気で、もちろんそこに危険はない。テレビをつければ、いつも通りに番組が進行している。
それは、奇跡と呼んでいい。
それをもう一度思いだす。
冒頭の不穏な気配を抱えながら、その奇跡をただ待つ。
ジョン・マグレガー 訳)真野泰「奇跡も語る者がいなければ」
(2004、新潮クレストブックス)