行ってきますとベランダに出し、ただいまと部屋に入れる
小学生の頃に、自分の部屋でシクラメンを育てていた。
白のシクラメンだ。カラーボックスの上に置いていた。
ある日、水をやり忘れていたのか、学校から帰ってくるとシクラメンが軒並み首をだらりと下げていた。
びっくりして、慌てて水をやってしばらくして戻ると、いつもどおりの姿に戻っていた。
理科の授業で習ったとおりだ、と思ったのか、よく覚えている。
それぐらいしか植物を自分で育てたことはないのだが、最近、植物を育て始めた。
育て始めたばかりなので、枯らしはしないかとびくびくしている。
なにせ、梅雨のせいでちっとも太陽にあててあげられない。
水をやりすぎると根腐れで枯れると本で調べて、水やりがあっているか不安でいっぱいだ。
枯らさずにうまく育てられるだろうかと不安に思っていたが、別に枯らしてもいいんだよと教えてくれたのがこの本である。
タイトルにあるとおり、ベランダで植物を育てている。
氏は、けしてうまく育てようとはしていなくて、自己流とあるとおり、水やりの頻度とか日光を好むのか好まないのかとか、必要最低限の知識だけで、あとは日々、植物を自分で観察しながら育てている。
だから、枯らすことも多い。枯らしてもいいと思っているという。
だって、それが自然だから。
でも、別に枯らしたいわけではないから、枯れたとは思った鉢にも水をやり続け、諦めかけた頃に再び芽が出れば心底喜ぶ。一喜一憂、右往左往しながら植物を育てている。
自分も、それでいいのかとほっとした。
事実、自分の状況もそれで、最低限の知識を頼りに、あとは観察しながら育てている。
朝の天気予報を見て、室内に入れておくかベランダに出しておくかを判断し、いそいそと水をやったりする。
毎日、葉の色が変わっていることに気づく。
そんなふうに、世話をやきながら、それこそ同居人として暮らしていけたらと思っている。
できるだけ、長く。
いとうせいこう「自己流園芸ベランダ派」
(2014、河出文庫)