
まちがいなく、最後の最後まで一緒なのは君だ
もっと背が髙かったらよかった。
もっと二重で目が大きかったらよかった。
誰しも、自分の体についてもっとこうだったらよかったのにと思うことはあるだろう。
でもそれは、自分だけの体があるという前提があるから成り立つ。
もし仮に、精神だけの存在で、毎日、誰か別の体を移動していくとしたらどうだろう。
その体の持ち主は、その人の人生を生きていて、一日だけのっとる形になる。
のっとられるほうもいい迷惑だが、のっとるほうも、その体が重い病にでもかかっていれば苦しみを味わう。
でも、たった一日だ。
でも、その一日は、人生に一度しかないような大事な日かもしれない。
そして、その大事な日になりるのは、体があるからだ。
自分だけの体があるから、自分のいたい場所にいられるし、一緒にいたい人といられる。
体でしか伝えられないことがある。
少なくとも、当たり前だと思っているようなことは、そんなふうに成り立っている。
さて、それがかなわない場合は。
最後の決断を見届けてほしい。
デイヴィット・レヴィサン 訳)三辺律子
「エヴリデイ」
(2018、小峰書店)