天狗にあえたような気がする山
高尾山に行ってきた。
初めてだ。ちょっと山ガールの友人の誘いで。
いい天気だったこともあり、人出は多い。
ケーブルカーの楽な道ではなく、楽ではないほうの道を行った。
私が大好きな漫画では、迷ったら楽ではないほうの道を選んでください。そのほうが、後悔しなくてすみますから、と言っていた。
別にそれに拠ったわけではないけれど、ちゃんと登れた。想像以上に斜度がきつかった。
ケーブルカーを使った場合の道を考えれば、あっさりと観光地化された道をぞろぞろと歩き山頂も人の山とくれば、頑張って登ってきただけのことはある。
天狗の山だけあって、天狗がいそうな一本杉を見た。
それだけで、私なんかは一人でわくわくしてしまう。
山頂で食べたお蕎麦もまた、おいしい。
帰りは、行きよりも難しい道を選んだ。
道幅は人一人がやっとの狭さで、おまけに少しぬかるんでいる。
そうすると、友人との会話も途絶え、一人で山を下っている心持ちになっていく。
木漏れ日と鳥の声と、倒れた倒木と沢の音。枯葉を踏む足。
下り道は、登り道よりきつい。
一歩一歩、滑らないようにと全神経が注がれる。
一歩こどに、それは自分への問いかけのように感じていった。
この一歩は、自信をもって踏み出しているか?
大げさかもしれないが、でも確実に、ちょっとよろけたら転げ落ちるだろう道幅だ。
そして、選んだ道は簡単には引き返せない。
途中で嫌になっても、逃げ出せない。自分で歩いていくしかない。
こっちに来なければよかったと、踵の高い靴で愚痴りながら下っていく女の人を追い越しながら思う。
本格的に山登りをしている人には笑われてしまうかもしれないが、それでもこの優しげな山でも思う。
何人で来たとしても、山は一人で歩くものなのかもしれないと。