
いつかかならずおとずれるものについて
タイトルにもあるとおり、どの詩も死についてうたっている。
同時に、恋とか愛とかについてうたっている。
つまり、さみしさだ。
読んでいて、さみしさが押し寄せてくる。
とくに、少女たちをうたう詩が悲しい。
気づいてほしいために消えてしまおうと言ったりする。
世間が自分たちを消してくることに気づいている。
街に、マスクをしている人が、こんなにあふれているのはなぜなんだろう。
もちろん、花粉やらインフルエンザやら、時期的なもの、鼻炎もちの人もいる。
でも、それを差し引いたとしても、この光景はおかしい気がしてならない。
少し前までは、こんなことなかった。
でも、その理由がちょっとわかった気がする。
気づいてほしいくせに、消えようとする。
だって、どっちだって同じだから。
さみしいさみしい。悲鳴が聞こえる。
大型連休を迎えるたびに、人間的に試されているような気がしてならない自分には、自分のかわりの悲鳴にも聞こえる。
最果タヒ 「死んでしまう系のぼくらに」
(2014、リトルモア)