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赤ん坊の頬は見事に太陽を弾いてまわりを笑わせる

先輩のお子さんは、一歳になったばかりだ。
最近は、鏡に映る自分に手を振るようになったという。
鏡に映る自分を認識したのではなく、他者を認識しだしたようだ。

 

 

私の中で最も古い記憶は、三歳だ。
幼稚園の園内のコンクリートの上で転んで、頭を縫う怪我をした記憶だ。
転んだ時に見えた景色を覚えているような気がするほど、鮮明に覚えている。
また、転んだ時の景色はスローモーションになるのだと、初めて知った記憶だ。

 

 

誰しも赤ん坊だった頃の記憶はない。
自分もこうやって大きくなっていったのかと追体験することが子育てであり、それでしか知りようがないのかもしれない。

 

 

この本の題名にもなっている「なずな」は、本人はただ懸命に生きようとしているだけである。
やむを得ない事情で一時だけ世話することになった伯父は、赤ん坊である彼女を通してそれを感じている。
赤ん坊がいるだけで、世界が変わっていくことを感じている。
世界を改めて知っていっているような気がしている。

 

自分だって、そうやって知らないうちに世界を知っていったはずなのに、残念ながら覚えていないその奇跡のようなものを、「なずな」を通して改めて拾い上げていく。

 

 

なにより、彼と彼女を見守る周りの人達があたたかい。
懇意にしている小児科医師の家族は、まるで祖父母のようでもあり、近所のスナックのママは、親戚のおばさんのようである。
伯父である彼は、仕事の関係でこの街に来ただけであるが、「なずな」を通して、それこそこの地に根をはっていく。
誰もかれもが、彼女に優しく、また彼に優しい。

 

 

彼は常に子育てに対してびくびくとしている。ちゃんとできているか不安で仕方がないのだ。
けれど、彼自身もそういうように、読者も「なずな」が彼を幸せにしているのが分かるから、いつかくる別れが惜しくなっている。

 

 

「なずな」は彼に世話されたことを覚えてはいないだろう。
後年それを知ったら、迷惑をかけたなり感謝なりするだろう。

 

 

けれどいいのだ。
伯父が覚えていればそれでよく、きっと、当の「なずな」にその時が来たら、どんな思いで伯父が自分を世話してくれたのか、きっとわかるのだから。

 

 

 

 

堀江敏幸 「なずな」
(2014、集英社文庫)