登ってしまえば終わりではない。下りて帰ることが大切。
作者の目になって、一緒に山を登っているようだ。
足元の花を見たり、上を見上げて覚えたての木の名を呼んだり、鳥の声や水の音に耳を澄ませたり。
山ですれ違う人の話し声を楽し気に聞き、笑う顔に目を細め、山小屋で出迎えてくれる人達の魅力を的確に伝え。
美味しいものの食べ物の描写は決して端折らず、ラーメン好きは山に登ったらいいのだとうそぶいたり。
逆に、けして山登りは楽ではないこと、情けない己の姿も恥ずかしがることなく内省する。
とにかく、目も耳もよく動いている。それと一緒に、こちらの目も耳も動く気がする。
足元に虫が生きている気がする。寒さで耳が痛くなってくる気がする。
全てを使って、使い切って山登りを楽しんでいるのが伝わってくる。
それでいて、山登りにおける哲学にはっとさせられる。
特に、屋久島の縄文杉のある森の描写だ。
気安い気持ちだけで来てはいけない所であるとこと、大きな自然の中に分け入っていくことの意味、
人がなぜ苦しい思いをしてまで山に登ってしまうのかという答えに近いものが、しっとりとした筆致である。
緑の湿った匂いがするようだ。
石田千 「山のぼりおり」
(2008、山と渓谷社)