神様に手を合わせる時、実は、いつも言葉に詰まる。
何を願えば良いのだろう。
いや、別に何かを願う必要はない。
挨拶するだけでいいはずなのに、願い事をしなければという観念に縛られて、結局その願い事はしどろもどろになってしまう。
ただ、人が手を合わせている姿を見るのが、なんとなく好きだ。
なんでもない日に、なんでもないような格好で、手を合わせている人。
その風景が好きで、そんな風景に立つ人の胸のうちは、たぶん、すっきりとしているに違いないと勝手に思っている。
言葉にして唱えなくても、それは差し出されているのだ。