彼女たちと一緒に大きくはなれなかったけれど
本は好きだが、古典名作の類はあまり読んでこなかった。勿体ないと思う。
純文学もだが、児童文学もあてはまる。
「赤毛のアン」も「大草原の小さな家」も「若草物語」も読んでいない。
唯一、「あしながおじさん」だけは読んだ。高校生だったけれど。
今でも、小学校の図書室のあの棚に「赤毛のアン」があって、何度か手にとったことはよく覚えている。
手にとりはしたが棚に差し戻し、代わりに「十五少年漂流記」やら「エルマーの冒険」やら、男の子っぽい本ばかり読んでいた。
中学生以降になると、日本の児童文学の面白さに目覚め、海外の児童文学からより遠ざかっていった。
さて、タイトルだけ読むと、女性の生き方を説く、少し敬遠してしまうような本と思ってしまうかもしれない。
しかし、そんなことはちっともない。
読んでいて感じるのは、筆者の、これらの作品に対する深い愛情である。
そして、本を愛情をもって読むとはこういうことかと背を正してしまうような、深い読解力である。
読書と言うのは、文字を追うだけで読めてしまうものだ、何も自分に残らないだけで。
そうではなく、楽しもうと思って読み始めれば、そこから物語の登場人物たちとの心の共有が始まり、そしてより深まれば作者との対話が始まる。
ちょっとした一文でさえ、そこに作者の心根を感じる。
それをとことん深めた筆者が、これらの作品のぜひ気付いてほしい素晴らしいポイントを教えてくれているのがこの本だ。
誰もが胸の底で思っているであろう、理想の自分と乖離している今の自分への諦めを、微塵も感じさせずにキラキラとしている彼女たち、そして作者のことを紹介してくれているこの本を読み進めるほどに、私はあの小学校の図書室のあの棚から「赤毛のアン」を取りだしたくなった。
もし、まだまだ子供の頃に彼女たちと本の中で友人になっていれば良かったなと思ったくらいである。
それでも、今からだって友人になれるのが本のいいところである。
いつまでも、本棚の中で友人になってくれるのを待ってくれている未来であって欲しい。
もう既に友人になっている人達が、心を惜しまずに紹介し続けてくれるのだから。