背中をすいっと指で上からなぞっては驚かせる癖があった
読んでいて、ひりひりした。
天邪鬼なので、ベストセラーは敬遠してしまう。
落ち着いて落ち着いて落ち着いた頃に、やっと手を伸ばす。
そして、そういう本は、これはベストセラーになるなと納得するものの方が多い。
余談だが、私の中でその筆頭は、吉本ばななの「キッチン」である。
いい本かそうでもないか、自分好みの本かそうではないか。
最初の一行で、だいたい分かるものだ。
それで言えば、この本の最初の一行は、私の中で久々に胸を打った。
そのままぐいぐいと引き込まれて、あっという間に一段落を息もせずに読んだ。そんな冒頭だった。
私は、小説の力はすごい、言葉だけで何かを表現することはすごいことだと思っていて。
それはなぜかと言えば、絵では表現できないことも、言葉に起こせば、それは、小説の中では全てが成り立つからである。
それが、文学的に過ぎるとも言えるのかもしれないけれど、だからこそ、文学的に魅力的だと思う。
一行目の表現がそれに当てはまるのだが、それ以外にもこの小説の中には、はっと惹かれる表現が頻出する。
そんな表現をとりながら、それは「そうそう、そうだった」と頷いてしまうものばかりだなのだ。
随分遠くなってしまった高校生の頃の、教室の感じが、リアルに思いだせるのだ。
それが、読んでいてひりひりした理由。
あの小さな世界でいかに上手く生き抜けるか、周りを気にしないふうを装って、その実、気を貼り巡らせていた、ひりひりとした感じをまざまざと思いだした。
この感覚を呼び覚まされるだけでも、本書は得難い。
内容としても、よくある青春小説の感がなく(もちろん、王道の青春小説は素晴らしいが)、強がっていたかつての自分という痛いところを常にえぐってくるのも、読むのをやめられなくなる要因かもしれない。
やはり、思いだしたころに読んでみるベストセラーも悪くないと思う。
何を今更と言われるかもしれないが、それを許してくれるのも、本という存在のすばらしさだ。
綿矢りさ 「蹴りたい背中」
(河出書房新社、2003)