
地球で生きている人が皆チームならば良かった
昔から文系で体育会系とは縁遠い。走るのももちろん苦手だ。
だから、マラソン選手の気がしれない。
持久走大会が憂鬱で仕方なった当時の私には、それが正直なところ。
けれど、歳を重ねて、違うことを思うようになった。
走ることは、なんて人間らしいことか。
長い時間をかけて歩いて遠くまで行くと、この足で、どこまででも行ける気がしてくるから不思議だ。
走ることができれば、もっともっと遠くまで行ける。
そうやって、人は進化して、今の時代まで歩いてきた。
そんな、走ることに魅入られた彼らが挑む箱根駅伝。
若い彼らが襷を繋いでいく駅伝とは、不思議な競技だ。
団体競技は、だいたいにおいて、チームの仲間と一緒にプレイする。
声をかけあい、目と目で呼吸をあわせ、同じ時間同じ場所で例えば一つのボールを追う。
だが、駅伝は違う。
チームの仲間とすれ違うのは、襷を繋ぐ一瞬だけ、長い長い距離を孤独に走る。
たった一人で戦う。けれど、襷は重い。一人なのに、一人で走っていない。
そんな彼らが何を考えているのか、毎年箱根駅伝を見ているけれど、正直分からない。
襷を繋いだ瞬間、倒れ込む彼らがいったい何を想っているのか、計り知れない。
大学のチーム皆で出ているところはまだしも、学連選抜の彼らなんて、なおさらだ。
けれど、読んでいて、あぁそうか、と思う。
少しだけ、彼らに寄り添って走れた気がする。
堂場瞬一 「チーム」
(2010、実業之日本社文庫)