
こんなふうに読みたい本が増えるのは嬉しいことだ
ふらふらと、仕事帰りにいつもの大型書店に寄った。
棚から本を抜いて物色していると、車いすの方が近くに来た。
邪魔にならないようにと身を引いたけれど、その方はそれ以上動くことはなかった。
しばし。本を棚に戻していると、低い位置から話しかけたそうな気配を感じた。
「すみません、お願いしたいことがあるのですが」
そう声をかけられる前から、私はなんとなくそう言われるような気がしていた。
不思議なのだが、ひどく嬉しかった。
棚の上の方に手を伸ばし、抜いた本を手渡した先のその方の笑顔は、ひどく素敵だった。
膝の上に本を置き去って行く背中を追って、もっとお手伝いしたい気さえした。
抜いた本は、読んだことはないが知らない本ではなかった。
彼の本は訳でしか読んだことがないけれど、これを機に読んでみようと思った。
一日の終わりに、なんの気負いもなく自然に誰かの力になれたことが嬉しくて仕方がなかった。
伊丹十三 「ヨーロッパ退屈日記」