いつか誰かのために編む
会話文が括弧じゃない。
まるで、主人公の耳を通って主人公の体に入り込んで、その中で響いてかみ砕いて…
独白のようにも聞こえてくる。
だからだろうか、氏の作品はエッセイも小説も読んだが、エッセイは小説に、小説はエッセイのように感じてくる。
どこか近くの街に住んでいる、自分とよく似ている人の話。
端から見たら何の問題も抱えていないように見える。
けれど、半年間もタマゴサンドしか食べない生活を送ってしまうような、頑なな誰かの話だ。
そう、人に甘えるのが苦手な人。でもそれが、周囲にはばればれな人。
女子力が低いので、編み物もしたことがないし、もちろんアボガドの種を水に浸したこともない。
たくさんの毛糸や植物が出てくるけれど、さまざまな人がいるように、毛糸にも植物にもさまざまな性格があって、さまざまに生きようとしている。
頑なだった人は、植物に導かれ、やっときつく編んだ糸をほどくように緩んでいく。
そう、編み物はほどける、やり直せる。
ほどくのは勇気がいることかもしれないけれど、ほどいてしまった方が、大きく息を吸えるはずだ。
緩めばそこに空気が生まれる。空気を挟むとあたたかくなる。
石田千 「きなりの雲」
(2017、講談社)