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着物は三歳の時にしか着たことがない

中学生の頃には、自分はマジョリティの波にのれない人間だと確信していた。
だから、成人式にも出席しなかったし、写真も撮っていない。

 

両親も祖父母も、テレビに流れる同い年の彼らを冷めた目で見る私に何も言わなかった。
本心ではどう思っていたのか分からないし、私の知らないところで会話があったのかもしれないが。

 

幼い頃から、私にああしろこうしろと言わない両親だった。
勉強も進学も就職も一人暮らしも、なに一つ言われたことがない。
逆に言えば、全部自分一人で考えて実行してきた。
私が口に出す時は、既にほぼ決定事項になった段階で、自分で決めたことならいいんじゃない?と言うのだった。

 

高校生の頃は、あまりの放任主義ぶりに寂しさを覚えたこともあったが、私が決めたことを否定したことはなかった。
母は、励ますようにいい点を見つけてくれたりした。
それこそ好きにしたらとしか言わない父も、私が初めて一人暮らしのために引越をする時は車で運んでくれた。
思えば、私より先に家を出た弟の時もそうだった。そうやって、子供が住む街を確かめに来てくれたのだろう。

 

 

いかに自分はマジョリティの波にのれない天邪鬼なのだ、という話をしようとしたのに両親の話になってしまった。

 

でも、この歳になっても、晴れ着姿の集団が歩いていると避けて歩く。
華やかでいいわねぇと彼女たちに声をかけるお婆さんがいたが、まだまだ私には出来ない芸当である。
ただ、若さがまだあったあの頃の自分の写真だけでも撮っておけば良かったのに、と思うぐらいの歳は重ねてしまった。

 

成人式もとうの昔に済んだし、「今まで育ててくれて、」なんて、よくテレビで聞く台詞を早く親に言ってあげたいものである。

 

 

 

成人の日