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タイトルも表紙も作品の手がかり

読んでも読んでも分からない漫画があるなんて、少し前の私は知らなかった。

 

例えば、漫画はエンターテインメントだ。娯楽だ。
漫画でしか描けない世界観を楽しんだり、登場人物に感情移入して泣いたりするものだ。

 

それがない。
一度読んだだけでは、分からないことが残る。
けれど、面白くないわけではない。
もう一度読んでみよう、と思わせる。

 

よほど好きな漫画じゃなければ、一度読めばいいかと思う漫画も多い。
シリーズが長くなればなるほど、惰性で買ってしまう漫画も多い。
消費するだけの漫画も多い。

 

けれど、理解したくて、もう一度読み返してしまう。
そうすると、1回目では気づかなかった作者の意図にきづいたりする。
けして、情報量が多いわけではない。むしろ少ない。少なすぎる。
なのに、そこかしこに作者の狙いが散らばっている。
1作1作にかかる年月に驚く。一般に浸透している商業漫画とは生み出し方が違う。

 

そんな漫画を題材にした読書会に参加した。
ここがわからないんです。と言い合って、意見を出し合う。
一人では気づかなかった考えが飛び交う。自分と同じ意見に深く頷く。

 

帰る頃には、作品に近寄れた気がした。

 

 

高野文子 「私の知ってるあの子のこと」
(「棒がいっぽん」1995、マガジンハウス より)