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父の掛け声は慣れないことに緊張していた

私の記憶にある実家は三つある。

 

一つ目は、まだ私が幼稚園にあがる前までの平屋の小さな借家。
同じような借家が並んで建っていて、真ん中のスペースで近所の子と遊んでいた記憶が微かにある。

 

二つ目は、建売の一戸建て。
ちょうどバブルの時期に買ったから、それはもうものすごく高かったと母から何度聞かされたかしらない。
階段は一段が高くて、下半分は背板がなく、来るたびに友人があそこが怖いと言っていた。

 

三つ目は、二つ目を建て替えた、今の実家だ。私が中学二年生だった。
一階部分の間取りは、びっくりするほど前の家と同じで、二階の部屋が倍に増えた。
それまで弟と一緒だった子供部屋が別々になった。

 

もう一つ、二つ目と大きく違うと思っているのは、障子と濡れ縁と庭の樹がなくなったことだ。

 

前の家にも一階に畳部屋があり、障子があった。当然、子供のいる家なのでよく穴が開いていた。
風邪をひいた時は、二階ではなくその部屋に布団をしいて、少し元気になると暇で本を読んでいたことをよく覚えている。

 

そして、その外は濡れ縁だった。沓脱石もあった。
小さな庭にはたくさん樹があった。

 

玄関に、白木蓮。玄関前の道路に面した塀には青と紫の紫陽花。
その横に、なんの樹かわからないがのっぽの樹があり、なぜか薔薇もそこに巻き付いていた。
庭には紫のツツジの垣根があり、隣との境を守っていた。そして一番奥には椿。

 

あの頃は今っぽい真新しい家になることにばかり気が向いていて、当然、濡れ縁を残してなんて言うような子供ではなかったが、今となっては口惜しい。

 

そして、今思えば、なんてたくさんの花に囲まれた家だったことか。
まぁ、実は、それらは前の住人の忘れ形見なんだけれど。

 

うちの家族の誰も草木を世話する甲斐性がないばかりに、今の家の庭は綺麗さっぱりとしたものだ。
昔は、紫陽花を小学校に持って行ったり食卓に飾ったりしたものなのに。

 

と、書いているうちに、どんどんと昔の家のことを思いだしてしまった。
建て替える時、なにもかもなくなったその家の部屋の一つ一つに、ありがとうと言って回り、外から切ない気持ちで見上げたことも思いだした。

 

ひどく懐かしい。
母曰く、ものすごい値段だったというその土地と家を買い、建て替えも決意した父はどんな気持ちだったのだろう。
地鎮祭の鍬入れに向かう父の姿と掛け声さえも、よく覚えている。

 

 

 

檀ふみ 「父の縁側、私の書斎」
(2006、新潮文庫)